現在までの過去

私の過去

私は小学5年生から野球を始めました。

それまではバスケをやっていました。今思うと、バスケをやっていたころは、身長がぐんぐん伸びていました。

バスケのような上下運動は身長が伸びやすいですし、身長を伸ばしたい方は、いいかもしれませんね。

少年野球に入ってすぐの時、私は監督に「肩つよいなあ。ピッチャーやってみないか」と言われ、私のピッチャー人生はスタートしました。

※私が肩が強かった理由はこちら↓

http://yakyuu-takeru.com/post-193/

いざ、投げてみると球は多少速かったのですが、コントロールが話にならず、いつもフォアボールを出していました。

このころは、ただたんに、野球を楽しんでいただけでしたので、よくなることはありませんでした。

しかし最後の大会では市の大会で、優勝できました。

そして私は、中学のシニアに入ることになり、野球をつづけることを選択しました。

波乱の幕開け

中学に入ると、硬球になり、なかなかなれず、硬球でピッチングした後の疲労は、かなりひどかったです。それでも、なんとか、チームの三番手以内には入れました。

しかし、中二の冬です。年明けの練習の時、ピッチングをすると、フォームがバラバラになっていました。いろいろ試しながら投げているその時です。

肘にピリッと電気が走ったのです。

私はその日から、ひじの痛みに耐えながら、投げることになります。

しかし、このひじの痛みが私の人生を大きく変えることになりました。

中学を卒業するまでは、あまりいい結果を出せず、悔いの残る三年間となりました。

しかし、球は多少速かったので(速かったといっても120後半ぐらい)高校に推薦をもらうことができました。

いざ高校へ

高校は練習がきついと聞いていましたが、やるからには、レギュラーを取ってやるという気持ちで進学しました。

しかし、私の予想とは大きく外れ、入学前の練習はほぼ礼儀作法ばかりで、楽しくないとかのレベルではありませんでした。

この時期からわたしは野球が楽しくなくなり、仕事のような感覚になり始めました。

試合にはでていましたが、全く楽しくなく、試合に出ていないときのほうがまだましでした。

相変わらず、ひじの痛みはよくならず、ピッチングもいまいちでした。

思考法

そんな時です。なぜいま楽しくも面白くもない野球を肘の痛みに耐えながら続ける必要があるんだ?

とふと思い、一週間ぐらいその答えを探し続けました。

そして、私はある考えにたどり着いたのです。

「今の自分から野球をとれば、何も残らない。だから野球を職業にしてしまおう。」

当時、稼げるプロ野球にあこがれていたのもあり、プロ野球選手になるために、野球を続けました。

そして私はここから私の思考法は変わり始めます。

まず、野球に対して何も考えていなかった私は、「プロ野球選手になるには?」

について考え始め、皆さんも知っていると思いますが、ドラフトです。

ではドラフトに選ばれるには?を考えました。

まず、ひじが痛いのは話にならないと思い、ひじについて勉強し始めました。

そしてそこからどんどん「プロ野球選手になるには」の答えを追求していき、今ではその答えがわかりました。

結論から言うと、それは、「数字」です。

例えば、ピッチャーであれば、球速、です。もちろん、コントロールやフィールディングも大事ですが、逆に言えば、今の時代、球速が遅いのにプロに行けた選手がいますか?

いません。

プロに行く人はだいたい、異常な数字を出しています。

総合的な要素はその次につければいいんです。というか、正しい体の使い方であれば、コントロールやフィールディングも自然と良くなります。

とにかく、異常な数字さえ出してしまえば、注目され、ドラフト候補に挙がります。

こんな結論出すのは、誰でも簡単ですがその数字を出す方法がわからないと思います。

私はその方法を高2の冬から考え始めたのです。そしてその答えはすでに出ています。

ですから、このブログを通じて紹介したいと思います。

もちろん、甲子園に行きたいという方も大歓迎です。

では、次回から、楽しみにしていてください。